外国で日本人(自分と似た知識と価値観を共有する人)と話す -コミュニティと空気-

この前、社会派ブロガーのちきりんさんがジャカルタに来るということで、バンドゥンにお招きして会ってきました。その時の詳細はここには書きません。
というのも、ちきりんさんと8時間くらい一緒に過ごしたことを自分のブログに残しておきたかっただけです。

自分は生まれてから22年間、短期の旅行が何度かあったとしても、海外に住んだことはありませんでした。
日本国内で暮らしていると、ナショナリティという意味で日本人としてはいつでも圧倒的な多数派です。

日本にいては外国人にあまり合わないというのもありますが、日本にいる外国人は実は“日本”という空気の中にいる外国人です。
彼らの多くは、日本的な空気感に覆われることで、意識的にか無意識的にか彼らの慣れ親しんだやり方・考え方を一部抑制させられています。

これは、日本人は他の人を受け入れないとかそういう話ではありません。コミュニティがあれば、そこには必ず、その場独特の空気が生まれるということです。
自分がそのコミュニティの一部であれば、その空気を正確に客観的に把握することはとても難しいと思います。

空気というと、空間に漂う雰囲気のようですが、それはつまり人の考え方や知識と相互影響するものです。
人の肺の中にも空気があるように、人の内側も“空気”に浸っています。

そういう意味で、自分はインドネシアの“空気”に入り込んだ日本人です。
いや、インドネシアとうより、もっと特定してジャワ島、もしくはバンドゥンなどと言った方がいいのかもしれません。

ちょっと話が大きくなりました。上の結論の1つは、外国人と日本人は、持ってる空気が決定的に違います。
つまり、知識や価値観が大きく違います。というか、日本人同士だって違います。
そうすると、将来のことのような大事な相談は、自分が日本人であるので日本人にしたくなるものです。
例えば、日本の歴史や経済状態、日本人の考え方を深く理解しているのは日本人です。先日、インドネシア人の友達に日本とドイツどちらの国で博士課程に進学し方がいいかと相談されましたが、どうにも答えられませんでした。
こんなことを書いて寂しいですが、その彼が本当に大事にするものを僕は分からないのです。

自分はインドネシアに来てから多くの日本人に会いました。
留学している身として、あまり日本人には会っていたくないという人もいます。あまりたくさんの日本人とつるんでいると人間関係がストレスになるというアドバイスをもらったこともあります。
それは日本にいたら合わなかったような人とも出合うためです。自分はインドネシアにいる日本人ということがある種のセレクションになると思ったらそうではなかったようです。

ところで、僕が留学期間が終わっても日本に帰ってこなかったらインドネシア人の彼女ができて良い感じにやってるんだなと思ってください。
そうしたら、今考えてる人生設計なんてゴミにするだけなので。

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