留学は手段か目的か

ネット上で留学や海外就職についての発言を観察していると、「それらを手段でなく目的として行っている人がいて、それは良くないことだ」という趣旨の発言を目にすることがあります。
目的を手段にするなという言葉は留学や海外就職だけではなく、かなり幅広い対象に向けて言われるように思います。

もちろん「特定の目的」があった方がその「特定の目的」は達成しやすいでしょう。語学を習得するために留学するとか、国を超えて友達をたくさん作りたいとか、現地のあの企業に就職する戦略を密かに立てて来るだとか。 しかし、手段(過程、何かを成し遂げるための通過点)を目的として設定できないなら目的とは何なのでしょう。

そう言ってしまうと、最終的には目的とは、どうやって生きたいか、または死んだあとにどうなっていたいかくらいしかないように思います。 俯瞰して見ると、人が行動する理由はすべて、そのような原理的な目的のための手段と考えられます。
例えば、どこかグローバル企業に入るためだとか、もしくは、より広い世界を知りたいという願望を叶える手段として留学を選んだとして、グローバル企業に入ることだって、より広い世界を知ることだって、それ自体もより先にある目的のための手段でしかありません。

あげ足を取るようなことを書きましたが、 ここで「手段」と「目的」の定義を一般的なものに戻して。 キリのない討論をするよりも、人にとっては手段だと思われることだって目的として認めたっていいじゃないですか。 目的だったものが、達成された時それがまた先への手段にだって替わります。
だって、手段と言われるものの途中に死んでしまったら何の意味もない人生だったみたじゃないですか。 責任取ってくれるんですか。

B’zの稲葉浩志さんがソロ曲「I AM YOUR BABY」で歌いました。「どうして人は生きていくのか 理由を探すのもまた人生」 例えば、何のために留学をするのか、それを探すのもまた留学です。
何が起こるか分からないからこそ、自分がどんなことを考え、どんな人間になるのかが分からないからこそ、それを知るために留学をしたいと思うことは合理的です。

手段や目的の設定だって、瞬間瞬間で同じ命題が含有する手段比率が上がったり、目的比率が上がることもあります。最終的に、すべては個人が思う生きる意義次第であり、さらに、その生きる意義というたいそうなものですら、その日の気分で変わったりもするのですから。

今やっているそれは、楽しくて、それをやりたくてやっているのか、それとも先にある目標のための手段だからやっているのか。 寂しいですね。
自分がインドネシアが好きだからインドネシアに留学していると言った時の彼らの顔を思い出したりしてみると。

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