「代表するコンテンツ」は「その他のコンテンツ」を隅に押しやる

海外にいくと、日本が好きだと言ってもらえることがあります、特にインドネシアはとても親日の国であるようで、よく、日本が好きだ、アニメが好きだ、マンガが好きだなどと言ってもらえます。

このことについて2つ考えることがあって、1つ目はある日本好きコミュニティの中において、アニメやマンガは好きではないが他の理由で日本が好きだという人が、無意識的にマイノリティ扱いされるのではないかということ。
2つ目はアニメやマンガは歴史の薄いサブカルチャーであるということ。


1つ目について。インドネシアの日本好きコミュニティの活動は、それらへの興味の大きさを示すように、アニメやマンガ、コスプレ、アイドルなどに関係することが多いように感じます。
ジャカルタでかなりの頻度で行われるジャパンフェスティバルでも、同人誌や自家製のキャラクターグッズを売ったり、コスプレをする人がたくさんいたり、AKB48など有名なアイドルの曲を踊るパフォーマンスがよく見られます。
インドネシア以外の国にもそういった傾向がみられるのかもしれません。

クールジャパンと言われるようなものが実際に受け入れられていますが、それを行う人たちは、むしろすごく熱く精一杯やっているので、それらが好きではないけど、とりあえず来てみたという人は圧倒されてしまうのではないかと思ってしまいます。

そして、例えば、日本の文学や芸術、城や神社、自然などをきっかけに日本を好きになってくれた人が、その気持ちを共有できる場や相手を探すのは難しいのではないかとも思います。
もしその人がアニメやマンガに興味がなかったら、同じ日本好きだとしても、先に挙げたようなコミュニティに参加しても楽しむことができません。

これはアニメやマンガというコンテンツそれ自体に悪い部分があるわけではなく、マジョリティのグループが大きければ大きいほど、その他の人間には居心地が悪いということです。

少しでも日本に興味を持ってくれた人を取り逃さないためにも、何か新しい形の日本好きコミュニティがあってもいいのかもしれません。


2つ目のアニメやマンガは歴史の薄いサブカルチャーであるということについて。
グローバル化した世界は画一的でつまらないという人もいるように、既に資本主義の法則にのっとった、都市の正統な発展の仕方というものが研究されてしまっているとすると、その都市に歴史がないほど、発展したとしても他と同じような風景の、魅力の少ない都市になってしまいます。
ここで、歴史とは文字通り、古い町並み、城、伝統的な風習や文化、食事などです。

単純に言ってしまうと、歴史とは物事の深みです。
例えば、世界史のなかで名前の出てくることの多かったヨーロッパの都市には観光される魅力的な場所が必然的に多くなるように、日本だと京都などがそうでしょうが、歴史とその魅力の幅広さや深さは関係が強いと思います。

つまり、日本人でも同様かと思いますが、アニメ、マンガ、j-popなどのサブカルチャーにはまるのは若者で、多くの人が歳をとるにつれて飽きて離れて行ってしまいます。
これこそが、そういったサブカルチャーの歴史の薄さということなのではないでしょうか。
パターンやジャンルが増えきっていないので短期間で遊びつくして(知りつくして)しまえるのです。

日本に行きたいと言う人はすごく多いです。
しかし、途上国のインドネシアですから、若者が気軽に海外に、つまり日本に観光に行くことはあまりできません。
本を好きである彼らがある程度お金を持てるようになり、行こうと思えば日本にも行けるということになった時、その歳でも日本を魅力的に感じてくれていたらいいのですが。

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