創造的/理解的ひらめき、旅行と定住、刺激

環境に誘発されての、創造的ひらめき(これまで自分の頭になかったことを思いつくこと)や理解的ひらめき(既に頭にあった知識や新しく知った事が繋がり、より単純な概念にまとまること=脳内の情報エントロピーの減少、腑に落ちる)。

旅行 定住
 創造的 新しい知識(初めて触れる文化…) 突き詰めること+思考の乱れ
外からの刺激、緊張、興奮 隠れた需要(バンドが多いが、演奏できる場所が少ない…)
理解的 比較(インドネシアは○○だが日本は××、何が作用…) 突き詰めること+思考の乱れ
外からの刺激、緊張、興奮

これを単純に日常生活に当てはめると、色々なことに手を出したいのか、それとも一つのことをしたいのかという話にもなります。
しかし、ホーム(強く好きなもの)があるから旅行(寄り道、脇道、探検)がしたくなります。例えば、僕は日本にいた時からコーヒーが好きだから、インドネシアでローカルなコーヒーを飲んでみたいという気持ちが湧いてきます。また、僕がバンドゥンの街が好きだから、じゃあインドネシアの他の街も気にいるかもしれないし、行ってみたいと思えます。

自分はブログを書くようになってから、内容を発想し、文章を書くのに適した環境は何かと考えるようになりました。人生でこれまでに創造的なアウトプットをしたことなんてほとんどなかったので、何が創造性を刺激するのかなんてよくわかっていませんでした。
んな自分でも最近では、スタバでドヤ顔(古い?)でPCをカタカタしてる人に共感できます。なるほどそういうことかと。

実際にブログを書いてみると、自分の家よりもカフェやレストランのほうが捗る実感があります。とりあえず研究室に行ってみれば研究する気になるように、自分の脳は家を、頭を使う場所であると認識していないので、スイッチが入りにくいようです。

なぜカフェなどでは創造的作業が捗るのか。
僕はカフェでは“落ち着ける”からだと思います、深く思考に潜るためには刺激があってはいけません。環境と自分が一体に感じるようでいいです。それは感覚からフリーになることです。つまり、メリハリのない風景、不快でなく強くもないにおい、適度な温度、歌のないまた認識しない歌詞の音楽、そしてその空間が安全であること。

ところで、僕の父親は文章を書く仕事をしていますが、いつも家で文章を書いていますし、家以外で書くとは聞いたことがありません。
これが、本業(定住)とそうでないか(旅行)の違いです。

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