ジャカルタ雑感1 都会だ

都市人口は東京に次いで世界第二位らしく、バンドゥンと比べても明らかに高層ビルが多く、グローバル基準にのっとって町ができています、特に中心。

出典 wikipedia
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ジャカルタではイスラム教徒でもヒジャブ(頭部に被る布)を被る人が少なかったり、教えをリベラルに解釈して飲酒もありだと考える人が多いらしいです。

インドネシアは赤道直下の暑い国なので、基本的に歩くのが嫌いで、歩く以外の様々な交通手段があります。市内の移動だけでも、各自で所有する自動車やバイク(スクーター)、いくつかの用途に合ったバスや鉄道、公共バスよりもフレキシブルに動く小型バス、タクシー、場所によっては三輪スクーターもあり、そして現在は地下鉄の建設が進められています。
しかし、街中を見てみると徒歩で移動している人が日本と比べて極端に少ないことに気づきます。また自転車に乗る人は全くと言っていいほどいません。
いたとしても1万円以上するクロスバイクに乗って、趣味として楽しんでいる人くらいです。

ちなみに公共バス(トランスジャカルタ)は35円ほどで1回乗れ、目的地まで追加料金なしで好きに乗り換えをすることも出来るため、このバスはいつも混んでいます。
といっても市内の大きな通りしかカバーしていませんが。私営バス(か急行のトランスジャカルタ?)はもう少し高く50円から60円でそのバスの路線上であればどこまでも乗っていられますが、乗り換えはありません。
高い分、乗客が少なく、内装もきれいでした。トランスジャカルタのバス停で待っていてもなかなかバスが来ない時に、このバスがトランスジャカルタのバス停に乗り入れ少し高くてもいいから早くバスに乗りたいという人を乗せていくのですが(既にトランスジャカルタの運賃は支払い済みのためさらに余計に料金がかかることになります)、この構造がインドネシアでおなじみの賄賂文化を思い出させて、なんだかもやもやします。

より良い交通手段に、よりたくさんのお金を払うこと自体は悪いことではないですが、トランスジャカルタに乗るつもりでお金を払い改札を通った後に、「なかなかバス来ないんだろ?余計に金払ったら俺らが乗せてってやるよ」に対してお金を払っているような気分なので。しかし、実際はそのような状況でもそのバスに乗る人はそれほど多くはないようです。

その明確な理由は追加料金なのか何なのかよくわからないのですが、理由の一つとして、インドネシア人は「待つ」ことが日本人ほど苦ではないということがあると思います(インドネシア人の持つ締め切りと時間の概念)。

スマホをいじるわけでもなく、友達といておしゃべりするわけでもなく、本を読むわけでもなく(ちなみにインドネシア人は本を読む習慣もあまりないようですね)、傍から見るとぼーっとしているだけのようにも見えてしまうのですが、それでもバスが来ることを気長に待っている様子を見ていると、日本人の自分には不思議なものだなと思わずにはいられません。

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